先週末、家族の用事で「大岡山」に出かけた。
東工大で行われたイベントに参加するためで、夫とふたり、その合間に昼食を取りに街へ出た。
あいにくの天気であちこち歩き回る気にもなれず、駅を出て右側の、商店街の通りをまっすぐ歩いてみることに。
道の両側に飲食店が続いていたが、見たことのあるチェーン店が目立つ。
そこに時折、焼き栗のような甘い香りを漂わせているコーヒー豆の焙煎屋さん、ご近所の人たちで賑わう総菜屋さんなどの個人商店がポツリポツリ。
もっと奥に進めば何かあるかもしれない。さらに直進し、それから左に曲がって、いや、もうここらで引き返そう、と思い始めた頃。
少し先を歩いていた夫が、「お蕎麦屋さんあったよ」と手招きをしている。
夫には「美味しいお蕎麦屋さんがあるらしい」とは伝えていたが、店名までは告げていなかった。
それなのに「なんかそれっぽいお店あったけど」とは、なんという嗅覚だろう!
店構えからなんとなく私好みの店ということを嗅ぎ取ったらしい(笑)。
正直お蕎麦に関しては、特段『美味しい!』という感動はなかった(いわゆる “普通に美味しい” レベル)。
この店の収穫は “そば” そのものではなく、店の軒下にひっそりと並ぶ、“小さな小さな和の庭” だった。
来た時には気付かなかった、庭と呼ぶには小さ過ぎる隙間のことだ。

壁に立てかけられた小さなよしずと蓮のコンビネーションに、玉竜がこんもりと植えられた手水鉢。
(あまり植物に詳しくないので、名称は違っているかもしれない)
一つひとつは決して派手な草花ではない。
それが竹や石など異なる素材と組み合わせると、お互いがお互いを引き立て合う。
その場を離れた後も、静かな余韻を残す美しい “庭” だった。
店先の、猫の額くらいのとても小さな和の庭である。
人気の蕎麦屋を切り盛りしつつ、庭をきれいに保っていられる秘訣は、両手いっぱいの広さに収まる小さなスペースだからこそ。
料理家であり、シンプルライフの提唱者でもあった故・大原照子さんの著書にも、骨董通りのご自宅で、ハンカチを並べたくらいの小さな庭を楽しまれているというお話があった。
以前住んでいた戸建て住宅で庭の手入れには懲りていたはずの自分も、こちらのかわいらしい庭を見て心が揺らいだ。
忙しくとも、手に負える範囲で草花を楽しみ、それを見る周りの人にも幸せな気分を分け与える。そんな小さな素敵な庭を、自分もいつか育ててみたい。