日常の中に突如姿を表す非日常を愛で、その瞬間を逃さずキャプチャする名手。
渋谷Bunkamuraで開催中の「永遠のソール・ライター」展を観た。ツイッターのタイムラインに流れてきた、苔桃色の雨傘と雨ににじむ都会の風景。
『好きかもしれない』。それだけの直感を頼りに、ただただ軽率に、日曜の朝の渋谷に向かう。
ソール・ライターだけに見えている “瞳に映らない” 世界

美術展や映画もそうだけど、事前に作者について詳細に調べることはあまりない。
なぜなら、早朝のバックカントリーでパウダーを食うスノーボーダーのように、まっさらで未知なるものに分け入っていくワクワクを味わいたいから。
ソール・ライターというカメラマンについての知識がまったくない中で、いざ作品を観ていくうち、ぼんやりと彼の作風を理解した。
ソール・ライターの被写体はニューヨークの日常風景や身の回りの愛すべき人たちであること。
しかし、彼がひとたびそれらをカメラで切り出すと、ひとつのフレームの中にいくつかのパラレルワールドが広がっていること。
例えば、車の中の人間と、その車のガラスに映るこちら側の景色と、車の奥のガラスを通して見える向こう側の景色と、そのガラスに映るこちらの景色と、といった具合に。
人は自分の目の前に見える物が世界と思い込み、日々を暮らしている。だが当然ながら、自分の知らないところでは、ほかの人々も同じように息をして、恋をして、彼らの人生を送っている。
ソール・ライターの作品に見る、ガラスに映り込んだ様々な人や物や風景は、 “瞳に映らない” 世界がイマ・ココに確かに存在していることを意識させてくれるのだ。
「薄紅色の傘」の余白

ところで、自前の写真以外、当ブログのアイキャッチにはすべて著作権フリーの画像を使用している。
今回ソール・ライターの写真展を知るきっかけとなったのは、ツイッターのTLで目にした「薄紅色の傘」という作品。以前アイキャッチに使用したフリー画像が、この作品を彷彿させるものだったからだ。
ふたつを比べると、異なる作品であるのは明白だが、後続のカメラマンがソール・ライターの本作品を意識していた可能性も考えられる。
大きく異なる点としては、「薄紅色の傘」では車や街頭の建物が濡れた路面に鏡写しとなっており、 “もうひとつの世界” の存在を感じさせるものであること。
また、傘は裾のごく一部が写っているのみで、傘の持ち主が男性なのか女性なのか、またどちらを向いているのかなど、観る者の想像に委ねられていることなどが挙げられる。
『男性に送ってもらった自宅近くの通りで、テールランプが見えなくなるまで見送る女性なのだろうか? 』
気づけば1950年代の、雨の日のニューヨークに心は飛んでいた。
“よい写真” の定義はわからないが、あまり説明的ではない、余白のある作品が好みだ。
スマホの中に「薄紅色の傘」を見つけ、渋谷まで足を運んだ理由には、一度頭を空っぽにして “余白” を味わい尽くしたいという気持ちがあったのかもしれない。
様々な赤の表情
もう一点、「薄紅色の傘」の特徴として、1枚の写真の中に、さまざまなトーンの “赤” が見られることを挙げておく。
テールランプの赤、車体の赤、傘の赤。外壁の赤もあるかもしれない。ひと口に “赤” といっても、実に多種多様な “赤” が存在するものだ。
モノクロ写真が正統とされた時代にあって、ソール・ライターはカラー写真を好んで撮っていたという。
雨に濡れた路面にたくさんの “赤” を流し込み、思いも掛けないマリアージュを楽しむような作品にもなっている。
ウィンドウの結露ににじむ人影

ニューヨークを主な活動拠点としていたソール・ライターだが、冬の情景を写した彼の作品には、北国生まれの自分のセンチメントが大いに揺さぶられた。
世のカメラマンにとって、雪は清らかさや大自然の象徴であることが多い。
もちろんそれも雪の一面ではあるが、40年以上雪にまみれて暮らしてみれば、雪はもっと卑近(ひきん)で、ときに憎むべき対象でもある。
ソール・ライターの作品には、そんな雪国の人間特有の視座でとらえられた、ありのままの雪景色があった。
雨の中、溶けた雪で靴に水がしみる不機嫌さや、こめかみのあたりに飼い慣らしてある、不意にずるりと足元を取られまいとする緊張感。
対して、うっすら汗をかくほどに暖められた室内のオアシスのような多幸感。
相反する感情が、窓ガラス1枚を隔てて渦巻いている。
すぐそこに立っているはずの人影は結露ににじみ、別の時空に生きる存在のようにも見えてこないだろうか。
日常の非日常を愛でる感性とともに生きる

ソール・ライターが住んでいたアパートメントの壁の再現
展示の冒頭で、 “何も世界の裏側に行かずとも、非日常はすぐそこに存在している” といった趣旨のソール・ライターの言葉が掲げられていたことを思い出した。
日常に非日常を見出せる感性があれば、いつか体力が衰えてままならない体になったときも、想像の世界に自分を遊ばせることができる。
ソール・ライターのファインダーを自分に携えて、 “非日常のハンター” となるべく、街に繰り出そう。
展示は2020年3月8日まで。