この時期、涼しくて食べ物もおいしいイメージのあるエリアに帰省すると言うと、周りから「うらやましい!」と言われることが多い。だが、当の本人は年々実家に滞在することが苦痛になっている。
理由はたったひとつ、“実家のゴミ屋敷問題” である。
年々ゴミ屋敷化する実家に頭を悩ます
もともと物が多い家ではあったが、母が20年前に亡くなってからは加速度的に物が増えた。
1年ぶりに戻った我が実家の和室は、その半分が父の荷物で埋め尽くされていた。
4LDKの個室が2階から順にひとつモノで埋まり、ふたつ埋まり、ついに1階の聖域である和室までも溢れる書類に侵食されている。
父はこの和室で寝ているはずなのに、これでは布団を敷く場所がないではないか……。
本人に問いただすと、「仏壇の前の空いたスペースに布団を敷いて小さくなって寝ている」とは!!
『一体、誰がこの家の主人なんだよ……』
実家の惨状を前に、憤りのような、悲しみのような、どこにもぶつけられない行き場のない感情でいっぱいになる。
広い4LDKの戸建てと、外の大きなガレージいっぱいに詰め込まれたモノ・モノ・モノ……。
実家の不用品は、自分ひとりが片付けてどうにかなるレベルをとっくに超えていた。
田舎の実家のゴミ問題は根深い
実家がこの先 “まともな” 状態になることがあるとしたら、それは父がこの家を出るときだろう。
大型トラック何台分の不用品が出てくるのだろうか?
正直、業者に頼むのすらまどろっこしく、いっそ家ごと潰して更地にしてしまいたいという黒い感情が渦巻く。
子どもの頃は大好きだった自慢の家が、今では不用品の詰め込まれた巨大な倉庫となり下がっていた。
実家から物が減らない理由
帰省のたび、大きなゴミ袋いっぱいに不用品を詰めて父に捨てるようお願いしてきたが、そのゴミが実際に捨てられた気配がない。
本気で今の実家を片付けるには、
- 自分が実家に2〜3ヶ月くらい滞在して、
- 借りた軽トラックにゴミ袋を詰め込み、
- 毎日ゴミ処理場を何往復もして、
溢れかえる不用品を捨て続けなければならない。
いらない物の中には、自分や弟の学習机のような大型の家具もあるので、業者の手を借りる場面も出てくるだろう。
関連リンク:小学生に学習机は必要なし。物心ついてから長く使えるものを選ばせて
そうはいっても、
- 今の自分が仕事を辞めて、家族を置いて実家に数ヶ月滞在することも現実的ではないし、
- 田舎すぎて軽トラックを借りるようなレンタカー屋もないし、
- 業者に頼むにしても(ただ不用品を捨てるだけのために!!!)相当な金額を覚悟しなければならないし、
- じゃあその金額はどこから出すんだという問題や、
- そもそも父にまったく危機感がないので、父の目の黒い内はどうすることもできない
のが本当に歯がゆい。
今は「老前整理」という言葉もあるくらい、50代くらいから子どもに迷惑をかけないようにと家の整理をするのが世の流れというのに、
そのほかのことには異常なほど寛容な父が、こと家の不用品の処分(さらに言うと、父の実家の古家やトラクター付きの巨大な倉庫や田畑や山や……)に関しては、遅々として話が進まない。
こういうときに頼りにしたい弟も、その日暮らすことに精一杯で、実家には長らく帰省していない。
結局、お墓のことも含めて、自分がこの一切合切をいつか全部背負うことになるかと思うと、実家へ帰省してもため息しか出てこないのだ。
せめて自分だけは、物から解放されて自由に生きたい
中学生くらいから、すでにミニマリスト的な傾向が自分にあったのも、物を溜め込みがちな両親に対する苛立ちに端を発している。
あの空間に四六時中暮らしている父の気が知れない。
父はこれまで何度もわが家を訪ねているので、物が少ない空間の快適性は分かっているはずだ。
それでも動いてくれないのは、無数の物に囲まれることで、無意識的にひとり暮す寂しさを満たしているからなのか……。
何れにせよ、父本人が変わろうと思わない限り、実家のゴミ問題に関して娘の自分はどうすることもできない。
そして毎年、後ろ髪を引かれる想いで実家を後にする。
葉書のシジュウカラのように身軽に

そのような訳で、今年も半ばウンザリしながら訪れた実家だったが、あるとき父がおもむろに数枚のポストカードを差し出した。
町内で撮影された野生の動物や鳥類のポストカードだ。
父から笑顔で「持っていっていいよ」と言われるものは、大抵丁重にお断りしているのだが(笑)、見せてもらった葉書の一枚だけはとても気に入り、素直に頂くことにした。
それはシジュウカラが羽を空一杯に広げて大地を飛ぶ一瞬を捉えた写真。
淡い水色の空を背景に、白からグレー、黒のグラデーションで構成された羽が、パッと広がった扇子のように美しい。
シジュウカラのミニマルな配色は、空の色から割り出して、一番映える色から選んだように完璧だった。残雪の残る山頂に吹く風のような清々しさも。
せめて我が家だけでも、この野鳥のようにミニマルに、いつでも身軽に飛び出していける空間を保ちたい。
美しいシジュウカラを見て切にそう願った、令和元年の夏。