indigo la End(インディゴ ラ エンド)のニューアルバム「濡れゆく私小説」の発売に先駆けて配信された「通り恋」。絵音氏が以前このアルバムを “濃密な悲しみの詰め合わせ” と例えていたが、「通り恋」がその頂点を成す作品であることは間違いない。
自らの身を切り刻んで紡いだ詞と重層なバンドサウンドで、善悪を超えた一点の曇りのない愛の世界に聴衆を引きずり込む。
その破壊力の後に、台風一過のような爽やかさを期待してはいけない。一度インディゴ(藍)に染まった心と身体は、もう元のように真っ白ではいられないのだから。
川谷絵音の人生をかけたバンドと紡ぐ、 “泣けど笑えど最後” の恋の歌

作詞作曲の天賦(てんぷ)の才は枯れることなく、とうとうと神曲を産出し続ける稀代のコンポーザー、川谷絵音。
複数のバンドやプロジェクトを掛け持ちしていることは周知の通りだが、その中でもindigo la Endは “人生かかってる” とファンクラブ内のブログで自ら吐露したほど、川谷自身が大切に育んできたバンドである。
先日PVが公開された「通り恋」は、2016年には既に存在していた曲というが、どうしても当時のアルバムには入れられなかった “事情” があり、実に3年の年月を経て日の目を見ることになった。
実を言うと、イノフェスで初めて耳にしたときは、先に演奏された「花傘」の方が印象は強かった。
だが、こうして家でひとり「通り恋」を聴いていると、猛烈な哀しみをはらんだ台風の風圧で息もできないほどに、この1曲に心を丸ごとなぎ倒された。
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それはまるで通り雨のような恋

「通り恋」を聴いて、ここに描かれている女性が “誰” なのか、邪推するまでもないだろう。
同じ言葉でまやかし合った
そんな結果で終わりなの?
引用:indigo la End「通り恋」 作詞作曲:川谷絵音
互いのまやかし合いの罪と罰だったとしても、一番想い合っていた時期に突如として引き裂かれる哀しみ。
藍色に染まった行き場のない愛は、数年を経て乾くどころか、今この時も絵音氏の心を濡らし続けているのだろうか……?
その染め色を絞り切るように、歌にのせて伝えることしか許されない現実。
1番伝えたかったあの時期に、封印しなければいけなかった感情。
とんでもない恋だった とっても良い恋だった
泣けど笑えど最後でした
さっぱりなくなってた 泣いても戻らなかった
次もこんなに想えるでしょうか
引用:ジェニーハイ「シャミナミ」 作詞作曲:川谷絵音
同じ恋愛模様でも、「通り恋」からウエットなエモーションを取り除くとジェニーハイの「シャミナミ」になる。
「通り恋」は絵音氏にとって、 “次もこんなに想える” かどうかわからないほど、 “泣けど笑えど最後” の “大きな愛” だったのだと思う。
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「愛の逆流」と「通り恋」は別の人物に宛てられた曲?

「通り恋」が作られたのと同じ2016年に、「愛の逆流」を含むindigo la Endの2ndアルバム「藍色ミュージック」がリリースされた。
当時、この曲は “あの方” に送られたメッセージソングとばかり思っていたため、『このタイミングで随分ストレートに歌うなぁ』という印象だった。川谷絵音のファンとしてはいささか複雑な感情を持って聴いていた曲である。
あれから3年が過ぎ、「通り恋」を聴いてからしばらくぶりに「愛の逆流」を聴き直し、PVを観て驚いたことがある。
それは歌詞の世界にも、絵音氏の表情にも、ふたつの曲の間にはまったく別の種類の感情が存在していたのでは? と気付いたからだ。
「愛の逆流」はかつて愛した人への贖罪の歌、「通り恋」は離れ離れになった恋人に対する思慕の歌?

戻れたら戻るけど
そうはいかないから
引用:indigo la End「愛の逆流」 作詞作曲:川谷絵音
冷たく流れたこともあったろう
止まりそうになることもあったろう
でも愛は逆流しないだろう
引用:indigo la End「愛の逆流」 作詞作曲:川谷絵音
つまり、愛の逆流とは、かつて愛した人に対して元の鞘には戻れないというメッセージであり、
愛してたって
愛してたってさ
もう戻らないんだよ
引用:indigo la End「愛の逆流」 作詞作曲:川谷絵音
『あなたを確かに愛していた。でも、 “通り恋” のような “大きな愛” を知った後では、もう “あなた” とは元のようにはやり直せない。』
という、深く傷付けた女性に対する贖罪の歌だったのではないか?
そう考えると、「愛の逆流」のPVで見せた絵音氏の硬い表情や、重苦しい雰囲気に包まれたモノトーンの画面にも納得がいく。
川谷絵音の慟哭がストレートに伝わってくる「通り恋」のPV
一方、「通り恋」のPVといえば、間奏の一瞬上を向いて涙を堪えるような絵音氏の表情に、嘘偽りの一切ない、深い哀しみが横たわっていた。
3年経った今も想い出にはできていないだろう感情。それをありのまま伝えるために、取り直しのリスクの高い一発撮りをあえて選んでいるようにも思う。
それが絵音氏本人の希望によるものかはわからないが、結果として彼の慟哭にも似た激しいエモーションが人々に鮮烈な印象を残して涙させるのである。
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恋心を抱いたことのあるすべての人に
さて、これから初めて「通り恋」や「濡れゆく私小説」を聴いてみようと思う方は、覚悟を決めてこちらに飛び込んできて欲しい。
なぜなら川谷絵音の沼はどこまでも深く、あなたを悲しみの藍色に染めてしまうから。
ティッシュ一箱分のご用意もお忘れなく。
追伸:台風の日はindigo日和。