台風一過に想う、あの田舎道のこと

池に浮かぶ蓮の花 モノ・コトの断捨離

“数十年に一度の記録的な大雨” をもたらした台風19号が去った。各地で甚大な被害を残したこの度の台風。大きな河川からそう遠く離れていない賃貸に住む我が家も、次第に激しさを増す雨と風の中、増水に関するニュースやネット情報をまんじりともせず見守った。

見慣れたいつもの場所が、突如自然災害に見舞われる恐ろしさ

土砂降りの雨

 

現在住んでいるエリアは、区のハザードマップで浸水のおそれが0ではないことを予め知っていた。そうなれば、目の前の道路やマンションのエントランスが水浸しになる可能性も出てくる。

ただ、万が一堤防が決壊するとして、中層階だし住戸に浸水する事態にはならないだろうとも思っていた。

 

開けてみるとやはり、この度の台風による増水でも、川からの浸水の被害はなかった。最寄駅もご近所も無傷のようだし、住んでいる賃貸マンションにも被害はない。

一日緊張状態だったところ、無事に日曜の朝が明けて胸をなで下ろした。

 

一方、通勤で利用する乗換駅の付近は、マンホールから水が溢れて付近一帯が冠水する被害に見舞われた。最新設備を誇るハイスペックなタワーマンションであっても、エントランス部分の浸水は防げなかったということだろう。

まだ現地を直接見た訳ではないが、河川の近くに住うリスクが露呈したことにショックを受けるとともに、ハザードマップの情報は決して誇張ではないと、今回の台風で改めて強く認識した。

災害リスクを背負っても引越しした理由

数年前、天災が比較的少ない地方から家族で関東に引越ししてきた。

 

転勤でやむなく、とか、夫の実家に戻るので、などの “もっともらしい” 理由はなかった。

『このまま地元で何事もなく残りの人生をやり過ごす』ことに耐えきれなくなっただけだ。

 

住んでいた家を売り、思い切って地縁のない場所に飛び込んで、賃貸暮らしをスタートした訳だが、それは引越しによって受ける恩恵の方がトータルでは大きくなると夫婦で納得していたから。

 

『あえて地震や台風被害にあうリスクのある土地に、家を売ってまで家族で引っ越しするなんて……。』

生まれてこの方大きな災害を経験したことがないゆえの “甘い見積もり” と言われても仕方がなかった。

 

だが、今や関東だから危険、地方だから安心とは言ってられないほど、気候変動による天変地異は頻回に起こり、その場所も予測不可能である。

 

それまで震災とは無縁だったエリアでも、ある日地震が、洪水が、突如として住民に牙を向く。

 

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2019年3月3日

天変地異から完璧に身を守れる家や場所などどこにもない

『今の日本に「安全だ」と心から信じられる場所なんてない』ということを、強く意識した出来事がある。

 

それは子どもたちがまだ幼かった頃、夫の仕事の関係で数ヶ月だけ住んだことのある “とある地方の小さな町” で起こった。

山に囲まれ、道の両脇に水田の水面輝く美しい田舎町

青空の下の田園風景

 

四方をぐるりと山に囲まれ、見渡す限り田畑の続く牧歌的な風景。

食材の調達は農協か、町にひとつしかないコンビニの二択という、素朴な田舎町だった。

 

当時息子を町の幼稚園に通わせたかったが、確か空きがないからという理由で、住んでいたエリアからかなり離れたところにある季節保育園に通わせていただくことになった。

季節保育園とは本来、地域の農家の御子息を農業の繁忙期に限って預けることのできる季節限定の保育園をいう。

 

小高い丘の上にある小さな教会のような建物まで、道路を我が物顔でくねるヘビに怯え、ときにフロントガラスの上を横切るムササビの姿に興奮しつつ、見渡す限り水田の続く細い田舎道を車で毎日往復した。

後部座席のチャイルドシートに小さかった息子と娘をのせ、カーオーディオからはいつもmihimaru GTの『気分上々↑↑』やPerfume の『ポリリズム』が流れていた。

もう10年以上も昔の話である。

 

その懐かしい田舎道を、昨年テレビの向こう側で何度も目にすることになった。

子どもたちをのせて毎朝、毎夕往復した、青々とした水田の間をまっすぐ進む、懐かしい田舎道を。

それは突然に

雨に濡れたサイドミラー

 

震度7という、にわかには信じ難いほどの烈震だった。

 

いつも見守ってくれているように感じていた山々が、画面の向こう側で、恐ろしいほど大量の土砂に姿を変え、ふもとの農家や農道、田畑を飲み込んでいた。

普段なら絶対に全国ニュースやネットで見ることのない町の名前が、テレビから何度もこだまする。

 

画面の前で、ひとしきり震えが止まらない。

 

あそこに、確かに自分と子どもたちはいた。

 

10年以上も前のことだけど、あの道を何度も走ってたんだよ。

 

誰に聞かせるでもなく、独り言のようにテレビに向かってそうつぶやいてみた。

その思い出までもが土砂に飲み込まれて、心から消え去ってしまうような気がしたから。

 

亡くなった方たちと自分たちの間に、生と死を分ける明確な違いなんてなかった。

 

ほんの少し、時間軸がゆがんでいたら。

自分はあの映像を、どこから見ていただろうか。

諸行無常の世で、物に固執せず身軽に生きたい

今回、近場の川から堤防を超えて水が迫ってきている状況で、全国でも同時多発的に多くの河川で浸水の被害が報告された。

この度の台風の影響で命を落とされた方々や、家が浸水の被害にあった方々には、心からのお悔やみとお見舞いを申し上げたい。

 

日本は災害立国であることを改めて感じた三連休であり、台風の前日にスーパーマーケットから菓子パンやカップラーメンが根こそぎ無くなったのを目撃して、災害時の食の確保についても日頃から意識する必要があることを痛感した。

平時にこそ目をしっかり通しておきたい。

そしてはからずも、家や車などにレバレッジをかけ過ぎることなく、移動の自由を確保した賃貸生活の気楽さ・合理性はやはり捨て難いと再認識することにもなった。

持ち物はミニマリストの方向に寄せ、いざとなったらすぐに避難できる身軽さは、災害時にその真価を発揮する。

台風一過の連休最終日、防災の一助に、身の回りのものを今一度見直す静かな時間を過ごそうと思う。

 

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